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「魔の山」

トーマス・マンの「魔の山」を読んだ。これは再読どころか、3度目の挑戦だった。初めて読んだのは10年くらい前だけれど、あまりに理解できなかったので、読み終えてそのまま最初のページに戻って読み返したのを覚えている。それから随分月日は経っているので、少しは理解できるのではないかと思って読んでみたものの、多分、半分くらいだろう。

「魔の山」では、特にフリーメイスンで人文主義者のセテムブリーニと懐疑的イエズス会士のナフタの論争のところは、読むだけで精一杯だったけれど、3度目ともなると、2度目よりは興味深く読めた気がする。それでも苦手意識を持っていただけまだマシで、今回初めて、書かれている内容に気づいた部分もあった。
というわけで、私にはとても難しい小説だったけれど、作者はそれを12年もかけて書き上げたのだから読む方もそう簡単に進むわけがない。

スイスの結核療養施設(サナトリウム)に従兄弟の見舞いに訪れたドイツ人のハンス・カストルプは、自分にも症状が現れて3週間の滞在の予定が、なんだかんだ完治せずに長い年月となってしまう。その終止符は第一次大戦によって打たれるが、おそらく、戦争がなければまだまだ滞在し続けていたことだろう。本人も幼い頃に身内を亡くした境遇であるために、元々望郷の念が薄かったこともあるが、サナトリウムの生活に一体何の魅力があったのだろうか。

ひとつは好きな女。ひとつには滋養たっぷりの食事や安静療養、散歩などの規則正しい生活習慣で時間が埋まることによる現実生活に対する思考の欠如。もうひとつには永遠に続くような時間にあてた思想の広がりや知識欲を満たす喜び、それによって自己の精神世界が充実していく満足感。
ハンス・カストルプは、興味を持つと星や高原の草花、人体の構造など、徹底的に調べてはかなりの知識を得たり、館内の娯楽に与えられた蓄音機から音楽に傾倒してそれなりの愛好家となるような好奇心旺盛な青年である。セテムブリーニとナフタの論争でさえも、傾聴に値すると考えてわざわざ伺いに行くのだ。
そんな彼が物語の主人公となったのは、まさに彼が素直で単純で真っさらな吸水紙のようだったから。その凡庸さと偏見のなさが周りの多くの個性を際立たせ、彼らを呼び寄せ、結びつけ、互いに違和感を持ちながらも新しい輪ができて、そこにまたテーマが生まれる。

作者がこの物語を通して何を伝えたかったのか考えてみると、扱われたテーマがあまりにも多義に渡るために具体的にどれとは選び難いけれど、私は人文主義者のセテムブリーニの存在、彼の古めかしい思想や、音楽のように美しい言葉の用い方、かなり誇大してはいるが、それが作者の心の声なのではないかと思った。もちろん、ノーベル文学賞を受賞したトーマス・マンが人文主義だとは誰も思わないが、彼の中の憧れや逡巡にそういうものがあるのではないかということだ。

というのは、トーマス・マンの両親は、父が公職を務めたような厳粛で生真面目な市民的気質の人間であるが、母親の方はラテンの芸術的、情熱的気質を持った人で、兄弟にも芸術家が多い。トーマス・マンも作家であり、芸術の分野に身を置きながら、若き日の周囲の退廃的な雰囲気に疑問を感じ、同時に憧れの念を抱く矛盾に葛藤した経験を別の短篇に書いていて、それは結局、彼の人生を通してのテーマだったのではないかと想像する。だから主人公ハンス・カストルプに教訓を与えたがるセテムブリーニの存在と、時にはそれを疎んだり、煩しく感じるハンス・カストルプ自身の両方・両者が作者自身の分身であり、また、ハンス・カストルプが肺病で自暴自棄になっているロシア人のショーシャ夫人に魅力を感じる衝動も全て、一人の人間の複雑に共存する意識なのではないかと思った。

サナトリウムから一向に出ようとしないハンス・カストルプに、自国に戻って元々のエンジニアとしての職業について社会に貢献するように勧めていたセテムブリーニの存在こそ、物語の良心であるのと同様にトーマス・マンの良心であるような気がした。けれど、セテムブリーニに「人生の厄介息子」と言われながら彼の話に耳は傾けつつも行動に至らない(本意が伝わっていない)ハンス・カストルプ自身もまたトーマス・マンが何よりも大切にしたい未完成の無垢や純粋さ、それは”若さ”と言い換えられるかもしれないが、その象徴なのかもしれない。

最終的には、自分で考え行動しようとしなかろうと、人に助言されようがされまいと、戦争で全てが変わる。ハンス・カストルプが自分の意思でもっと早くサナトリウムから退院しようと、最後まで残ろうと同じことならば、(状況が許せば)ありたい自分であるのが一番ではないかと思ったのが私自身がこの物語から得た答えだった。それもありたい自分というものがあればの話だけれど。

私はあまり日本語の本が手に入らないので同じ作品を何度も繰り返して読むようになってしまったけれど、2度読んだところで、「これをもう一度読んでみよう」と思うものは限られている。そういう本はあと6冊あるけれど、それらを読み終えた時にもう一度「魔の山」を読んでみたら、今回よりも更に楽しめるのだろうかと想像したら、頭がくらっとした。 











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by kuma-rennes | 2016-05-07 04:18 | 詩/感想文
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