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「響きと怒り」

フォークナーの「響きと怒り」を読んだ。これは初読。そして初めての衝撃だった。「たまにはアメリカ文学でも読んでみたら?」とコパンに簡単に言われたので、私の方も適当に(でもないかな?)選んでみて、ほとんど前知識なしで読み始めたら、あまりに難解でどうしようかと思った。

なぜなら、第1章はコンプソン家の末っ子の知的障害者ベンジャミンの語りで、彼の意識がそのまま表現されるからだ。例えば、「僕は泣いた」と書いてあっても、周囲の人の声として「あー、またこんなによだれを垂らしてビービー泣いてるだ」と子守が言うのでそれが普通の鳴き方でないことに気づくといった具合だ。そしてベンジャミンは色々なことが分からないし、説明できないから、これが好きとか、嫌いとか、美味しいとか、まずいとか、そんな言葉は出てこなくて、よく出てきた言葉といえば、「匂いを嗅いだ」くらいだった。
しかも、物語は展開を無視して時間の流れを突如切断されて、過去の場面に遡ったり、現在の場面に戻ったりするので、そういう意味でも後ろの解説を拾わないと理解できない難解な小説だった。

第2章はコンプソン家の長男のクエンティンがメインだが、彼は家の土地を売った資金で通わせてもらったハーバード大学在学中に自殺をしてしまう。理由は大好きな妹が結婚したからという信じられないことで、この兄妹は近親相姦を犯しているし、ベンジャミンは去勢手術をしているので、内容はかなり重く、そんな内容だとは全く想像していなかった私はとても面食らいながら読んでいた。
第2章はそのクエンティンが自殺をする日の1日の足取りが書かれているが、そういう人間だから、彼の思考回路は繊細すぎてとても不明瞭、この章もやはり難解であることに変わりなかった。

第3章は次男のジェイソンの話で、彼は一番常識人だが、とにかく性格が悪いのが特徴だ。小さい頃からいつもポケットに手を突っ込んで歩く(→なんとなく可愛げがない印象)のが癖で、すぐに大人に告げ口をするようなタイプだったので、ベンジャミンは別としても、自然と兄と妹の間に溝が生まれる形になっていく。
ただ、性格が悪いのは別にしても、クエンティンの死後、コンプソン家は没落の一方で、ジェイソンは立派な教育を受けることができなかった不運は同情に値する。それを根に持っているというより、単に性格が悪いからこういう言動をするのだなという場面は幾つかあって、あまり同情はできないけれど、最後までやはり不運であることが否めない男だった。
そしてこの章には死んだはずのクエンティンがまた登場して、しかも女の子であることに驚くが、それは長女のキャディが産んだ子供で、クエンティンの死後、同じ名前をつけられたからだと理解するまでにしばらく時間がかかった。これも第1章から通じて時間がバラバラに構成されているので、本当に分かりにくかった。

そして第4章は満を持して主役はキャディかと楽しみにしていると、コンプソン家で長年働いている黒人女性のディルシーの目線になるから拍子抜けすることになる。けれど、この物語はジェファソンというアメリカ南部の架空の町を舞台にしていて、南部は黒人差別が激しかったことからも、黒人の使用人のディルシーが大きく扱われることは重要な意味を持っていると思う。

これらは簡単な粗筋だけれど、一番印象的というのか、衝撃的だったのはやはりベンジャミンの第1章で、思考ができない人の頭の中を表現しようと考えついたことがまず表現の発明と言ってもいいくらいの偉大な創作だと思った。ベンジャミンが語るのは、花の匂いや水の流れ、炎の揺らめきなどについてだけれど、だからこそとても詩的で、タイトルの”響き”というのは彼の脳裏に押し寄せる印象のこだまみたいなものではないかと思った。
では、もう一方の”怒り”については、安易だけれど、ジェイソンの運のない人生に対する行き場のない憤りなのかなと思ったりした。

こういう難解な小説は初めてだったけれど、100年近く前に出版されたものがこんなに新鮮で衝撃に映るとは、読む前は想像もできなかったし、そういう意味では未知の世界に踏み込んでいくようなドキドキとワクワク感があって楽しかった。この本というか、フォークナーの作品に影響を受けた作家は多いというけれど、多分、読んだ人は誰だって少なからず影響を受けないわけにはいかないだろうと思った。好き嫌いは別にしても、素晴らしい作品だった。


by kuma-rennes | 2016-12-08 07:50 | 詩/感想文
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